in the morning rain

ロンドンに留学している大学生のブログでした

日本の大学や就活について

僕は日本の大学を2年生の途中で休学してイギリスに来ているわけなので、日本の'就活'をまだ経験していないし、単なるイメージで語ることにはなるかもしれないけど、ちょっと日本の就活について書いてみたいと思う。

まず、イギリスに気がついたこととして、こっちの学生はやっぱり(イメージどおり)勉強している、というものがある。もちろん日本の大学生もしっかり勉強している人はたくさんいることはわかっているのだが、やはり自分自身日本で大学生を1年半ほどやって大学の勉強のラクさや、本質的でないところを実感しているし、日本の大学生は勉強しない、というのは一般論として語って問題がないだろう。べつに僕自身、大学時代は勉強するためだけの時間だ、などとは思ってはいないのだが、それにしても日本の大学生の勉強しなさにはちょっとマズいんでないかな、と思ってしまうところはある。とはいってもこれは日本の学生が怠惰であるために起きているのではなく、当然問題は学生を取り巻くシステムにある。そして僕はこの最も根幹には日本の新卒一括採用があり、日本の大学がラクであることや逆に激しすぎる日本の大学受験などはここに起因しているのかな、と考えている。

 

まず、こっちに来て驚いたこととしてイギリス人やアメリカ人の学生と話していて日本の就活の常識が全然通用しない、というものがある。というのも日本のように、大学3年の終わり頃か4年になると学生たちがみんな揃ってスーツに身を包み企業の説明会や面接などに向かい始めるということが欧米では起きないようだ。職探しは大学を卒業してから始めるのが普通なようで、早いひとは仕事が見つかり次第就職するし、なかなか見つからない人はバイトやインターンをしながら職を探すそうだ。この違いは、欧米には新卒一括採用という概念がない、ということから来ている。

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 とここで、僕がつらつら書いていくよりも、下の記事を読んでいただくほうがわかりやすいだろうと思ったので、是非読んでいただきたい。短い記事なので。

journal.rikunabi.com

 

上の記事で書いてあることを大きくまとめると

  •  日本型雇用においては、社員が契約するのは「会社に入る」ことであって特定のポストへの雇用契約が結ばれるわけではない。つまり個人のポテンシャルをみての採用である。
  • 対して、欧米では「具体的個別的なポスト」で契約を結ぶということ。そのためそのポストにぴったりのスキルを有している人が雇用されるということ。

 

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つまり、日本企業(もちろん一言で括るのはあまりにも強引なことであると自覚している上で、'伝統的な'という意味で)はとりあえず、ポテンシャルがあり、将来的に企業にとって戦力となりそうな学生を欲しがり、その彼らをしっかりと会社の社風や考え方のなかで育て、会社全体として強い組織を作るという経営方針をとってきているということだ。社員の給料は勤務年数とともに上がっていくため社員は転職などはあまりせず会社に仕え、会社も社員を守る。というように会社と社員の関係がかなりベッタリしたものとなっており、そのシステムのなかで生まれる強固な組織力を武器にしている。そのため、やはり'組織として'ということにフォーカスしていることから、'同期入社'や'上下関係'の仕組みが必要であり、このために「新卒枠」という概念が生まれてくる。これが僕の日本的経営に対する理解だ。そしてこの仕組みにおいては新入社員たちは会社に育てられることが前提とされているため、大学生は企業に入社する際に特別なスキルはそこまで求められていないのだ。

 

一方アメリカやヨーロッパの企業(ここもあまりに雑な括り方であるのは承知だが、この文脈においては括れると思う)は上の記事のように即戦力となるとなる人材を求めているようだ。また、欧米では特に個人のキャリアを重要視する傾向にあるため、その職場で自分のスキルアップがこれ以上望めないと感じたら転職する、というのはよくあることのようだし、このように会社と社員の関係も日本に比べたらよっぽどドライなのではないかと考える。勤務年数に応じて給与が上がるなんてことも基本的にはない、給与はポストによって決まるしポストはスキルが決める。そしてこのような経営スタイルにおいては、'新卒であること'の価値はこれっぽっちもない。スキルがある者が、そのスキルが生かされるポストに就職し、そのスキルを生かす、というとても合理的なものだ。企業は即戦力としてすぐに働ける人物を採用したいのだ。だから、アメリカやヨーロッパの学生には大学は'専門的なスキルを身につける場所だ'という認識が高いし、インターンシップ文化がさかんで、また積極的に大学院などにも進学する。と僕は理解している。スキルがないといい職につけない、というのは結構シビアだ。

 

ちなみにステレオタイプ的な考え方ではあるが、でもやはり欧米は個人主義的(individualism)、日本は集団主義的(collectivism)ということはある程度事実だと思っていて、この文化的な違いが企業の経営方法にも大きく影響しているというのはおもしろいことではある。

 さぁ、すこし堅苦しくなっているが、というわけでここまで主に日本と欧米の雇用システムの違いについて、自分がこっちの生活で感じたことや本やインターネットで得た知識を交え、自分の見解をまとめてきた。

さて、これほどまで企業の経営方針、雇用のシステムが違うのだから、日本の大学生と、アメリカやヨーロッパの大学生の大学に対する捉え方や学習への姿勢が変わってくるのは当たり前のように思えてくる。日本の学生は大学時代に即戦力となるようなスキルを身につけることを企業側にそこまで求められていないし、アメリカの学生はそのスキルがないと職につけない。

このように書くと日本のこのやり方はネガティブな点ばかりに聞こえる。しかしその一方で、例えば日本の若者の失業率が他の先進国に比べ低いことや、実際この日本的経営が世界的大企業を多く生んできたことも事実としてあるため、この新卒一括採用も悪い点ばかりではないのだろう。だからこの問題は当初僕が思ってたより根深い。ただ批判できるものでもなさそうなのだ。

しかし、それでもやはり近年の日本企業の国際競争力の低下は明らかなことだし、そろそろ危機感をもって見直していく時期であることは間違いないだろう。

 新卒一括採用が変われば、大学のあり方が変わり、大学受験が変わるだろう。大学受験が変われば高校や中学のあり方だって変わる。日本の詰め込み式の大学受験(と学歴社会)への批判は多いが、いまの就職の仕組みのなかでそれらは本質的には変わらないと思う。

もちろん日本の大学生は勉強しないからといって、ただ怠けているかといってはそうではなく、サークルやバイトなどで自分の好きなことを追求し、そこから机上の勉強からは得られない多くの学びをしていたり、大いに与えられた自由な時間を使って何かにチャレンジしていたりする場合が多い。ただその一方でそれらは大学に行かなくてもできることだというのもまた事実で、大学が「場」として機能しているだけであったり、「大学生」という身分を与えるためだけのものであるならそれはとても本質的でない。日本の大学生(自分もだし)を批判する気なんてさらさらない。だって彼らはなにも間違ったことをしていない。彼らを取り巻くシステムのなかで自然な選択をしているだけだ。しかしそのシステムは全く本質的でないし、それがあのキツい大学受験を乗り越えた彼らに与えられるものとして相応なものだろうかと疑問を抱かずにはいられない。

海外で生活すると日本への愛が高まるので、こんなことを言ってしまっている。やはり自分の国はもっと国際舞台で存在感のあるものになっていってほしいと思うものです。

しかし、その一方でこれを書きながら、じゃあ大学で学問に取り組むことと、その仕事で使えるスキルって直結するのかよ、という疑問が生まれたり、もし本当にみんなが本質的な理由(学問をする)で大学に通うような世の中になった多くの人にとってひょっとしたら大学なんて必要なくなってしまうかもしれないし、そもそも大学なんて今のネットでだいたいなんでも自習できる便利な時代に必要なのか、などといろいろなことが頭を駆け巡り、少々混乱しているので今回はここでキーボードを打つのをやめさせてもらう。

この問題については今後もっと考えていかなくてはならないと感じているし(お前は誰やねんって話だが!)、また日本と欧米という二項対立で書いているためあまりに物事を単純化しているなどとツッコミどころはたくさんあるとは自覚している。あと、自分は就職はもちろん就活さえ経験していないわけで、現実を理解していない部分は多いだろうと思う。ので、若干この記事に対するリスポンスがこわい気もする...

ですが、個人的な連絡でもなんでも、お気軽に指摘していただけるとありがたいです!

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最後に

とわりと一気に書きあげたものの、けっこう内容が堅いし、僕のことを知っている人はいつからそんなこというようになったんだ、と思ったりもするかもしれませんが(というか誰がこれを読んでくれているのかこっちにはわからないわけですが)、最後にも書いたようにじゃあ日本の就活をなくしてアメリカみたいにもっとシビアなものにして、学生をもっと勉強させよう、とは簡単には思えていないわけで、まとまっていない考えをただ吐き出したようなものです。それにこれを書きながらもけっこう考えが変わったりしたので。まぁそれだけ簡単じゃない問題ってことですね。

今回はけっこう真面目だったので、おそらく次回は反動によりギャグ全開でいくぐらいの気持ちでいるので!どうぞお楽しみに。

 

※ 細かい誤字や日本語の訂正をしました (5/1, 5/3, 2015)